エドワード先生の言語の旅
スミス英会話大津校ブログ
ヨーロッパからカナダへ
私の曾祖父母は20世紀初頭に東ヨーロッパで生まれました。父方の曾祖父母はウクライナ出身でウクライナ語を話しました。母方の曾祖父母はベッサラビア、ポーランド、ルーマニアの出身で東ヨーロッパ複数の言語を話しました。ヨーロッパを離れカナダへ移り住んだ世代で、父の家族はカナダの中心部にあるウクライナ人の住む地域へ、母の家族はモントリオールへ移住しました。
私の祖父母は4人共カナダで生まれ、私が3世代目です。父方の家族はウクライナ語と英語を話し、母方は英語、フランス語、ヘブライ語とイディッシュ語を話します。
カナダ人として
私の父はカナダの西海岸で育ちました。彼は英語を話しますが、多くの言語に興味があり会話で使うキーフレーズを6ヶ国語で話す事ができます。母はモントリオールのユダヤ系エリアで育ち、英語を話しフランス語、ヘブライ語を勉強しています。両親共に第二言語を学ぶ方が私のためになるという考えで、私をフランス語のイマージョン教育をする学校(フランス語で授業が行われる学校)に入学させました。これはカナダにある教育システムで、子供たちは幼稚園から通い始めて全てフランス語で勉強します。子供たちは全員が英語を話す家庭出身でフランス語で授業を受けます(フランス語を話す家庭出身の子供たちは“Programme Cadre”と呼ばれる違う種類のフランス語学校へ通います)。私の通った小学校では全ての授業がフランス語で、高校になると半分が英語、残り半分がフランス語の授業でした。数学と科学を英語で勉強したのは、大学に入ってからだということ、初めての英語の授業は高校になってからだということが信じられますか?
私の故郷
私の故郷、カナダの西海岸にあるブリティッシュコロンビア州、ナナイモ。ここはカナダでも英語を話すエリアです、フランス語を話す人もいますがほとんどの人が英語話者です。私は学校の外では98%の時間英語を話していて、2,3度モントリオールへ旅行をした時以外ではほとんどフランス語を使う機会はありませんでした。妻のチハルは新婚旅行でタヒチへ行くまで私がフランス語を話せることを知らず、それはリクエストをした時や、スタッフ、ツアーガイドとカジュアルな会話をしたのを見ただけでした。今年、私たちは西アフリカのフランス語を話す国ブルキナ・ファソから3名のブルキナファソ人の先生をホストファミリーとして迎えて2週間以上深い会話をフランス語でする機会がありました。フランス語を話す筋肉のストレッチができて良かったですし、また来日して20年になりますが、まだフランス語を話せました。チハルにフランス語を褒めてもらえた時は自分が誇らしかったです。
日本へ来てトリリンガルに
2007年に私はカナダから滋賀県の大津市に引っ越してきました。日本語は全く話せませんでした。全てにおいてチハルに頼っていました。その時地元の国際協会で初級者用日本語レッスンを見つけ、1年後には大津市石山にある小さなスクールのプライベートレッスンを始めました。私は数年間レッスンを週に2回取り、生活が忙しくなってからも週に1度レッスンを続けました。現在の私の日本語は目標レベル程は高くなく、漢字はまだ勉強中ですが自分のことは自分でできます。友人と会話は続けられますし、地元の消防団に参加して日常の生活は自分で行えます。完璧からは遠いですが、自分自身をトリリンガルだと思っています。
スミス英会話大津校で生徒様をサポート
私は第2言語を子供の頃に、第3言語を大人になって学びました。英語、フランス語、日本語3つ全ての言語で本を読む、勉強、そして教えることが大好きです。私の言語への情熱が生徒様にも伝えられたらと願っています。スミス英会話大津校で共に講師をしている妻のチハルもマルチリンガルで毎日刺激をもらえますし、私自身が大津校の生徒様にとってそうでありたいと思います。言語は流行などで変化をする生き物であり、文化であり、魅力的で楽しくてやりがいのあるものです。私たちは毎日生徒様に新しい勉強方法や、新しいことに挑戦するように伝えています。私の言語の旅は100年以上前に始まり、世代を超えて受け継がれてきました。助けなしではここまで来られなかったでしょう。共に取り組み楽しみながら学んで、それぞれの言語の旅を進めて行けることを願っています!
スミス英会話大津校 エドワード
先生が書いた英語版ブログはこちら(English Here)
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Wonderful language journey!
I started my English journey last year when my daughter married an
American man.